42期全体テーマ

“「国際社会におけるグローバルガヴァナンスの趨勢」
   ~グローバルイシューをめぐる対立~”

テーマ概要

 現在、グローバリゼーションの深化に伴い世界のボーダーレス化がますます進行している。今まで国内で完結していた問題が国際的な問題へと発展する可能性が高まっているのだ。例えば2008年リーマンショックや2013年シリア内戦拡大は世界中に大きな影響を及ぼした。このような問題は従来の伝統的な国際問題と区別してグローバルイシューと呼ばれている。結果、グローバルイシューをめぐって国家だけに捉われない多様なアクター間で対立が発生するようになった。
 今期では、このような国際社会の中での【グローバルガヴァナンス】に焦点を当てていく。この概念は国際システムには世界政府が存在しないにも関わらず、国際社会は一定の統治機能を有しているという考え方だ。世界中には様々なグローバルイシューが存在し、その一つの答えとしてグローバルガヴァナンスが用いられている。国際関係論ではアナーキー(無政府状態)が前提とされているが、現実にはアクターは一定の規範やルールに従って行動することもある。なぜこのような国際関係において一定の秩序が存在するのか。この大きな問題意識をもとに、グローバルイシューにおける対立の原因を分析する。また、グローバルガヴァナンスがどのような影響を与えるのかを考察していく。

 42期では、次の5つのセクションを用意した。【①安全保障/②経済/③人間開発/④情報/⑤環境】である。これらのフィールドにおいてグローバルガヴァナンスがいつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように発生したのか。もしくは、そもそも存在しないのか。認識できるすべての可能性を考察し、議論してほしい。当然、各研究だけでは1つの側面のみしか捉えることができない。すべての研究が揃ったとき、はじめて本当の理解につながり、多角的な研究が完成するのだ。あなたはどのフィールドに問題意識を持っているのか。その答えを手掛かりに各研究へ進んでほしい。
 十大学合同セミナーでは単なる勉強では終わらない。10以上の学校、違う専攻の学生が集まり、学生主体で議論を重ね、論文を執筆する。つまり、多様な価値観を持つ学生が自らの意志で1つの共通の目標に向けて進んでいくのだ。これからの未来を担う若者が現実をどのように認識するのか。その上で何を考え、将来を推測し、行動に移していくのか。3か月間でその解答を導く力を習得し、論文を完成させていく。

 「グローバルイシューをめぐる対立」の議論を通じて、現在の国際社会を認識、考察し、十大学合同セミナーに新たな歴史を創るという強い意思のある学生が多く参加してくれることを心から願う。

セクション紹介

安全保障セクション

 国際政治学者のウォルファーズは言った。安全保障とは「獲得した価値に対する脅威の不在」また防衛大学校教授の神谷万丈は言った。安全保障とは「ある主体が、その主体にとってかけがえのない何らかの価値を、何らかの脅威から何らかの手段によって、守る」我々にとって安全保障とは、何なのだろうか。 人類というものは、自分たちの利益を守るため絶えず敵対するものと対立し時には手に武器をもって戦ってきた。その、最たる例は、原子爆弾まで使用された第二次世界大戦である。人類は、その大戦の悲惨さを目の当たりにして平和を希求した。それを具体化したのが国際連合である。
 しかし、実際は、どうだろうか。国際連合は、安全保障の分野で期待された役割を果たせたと言えるのだろうか。世界から紛争は無くならず、世界中のどこかでたった今誰かが暴力によって死んでいる。この地球を何十回と破壊するだけの核兵器を保有している国も存在する。世界は、戦争のない平和に向かうどころか対立が頻発していることは、誰の目にもごまかせないことである。

 一方我々日本は、大戦後に戦火に巻き込まれることなく平和に過ごしてきたと言える。よって安全保障というものは、身近なものではなく実感のわかないものとなった。しかし、昨今の日本の情勢は、安全保障という言葉がどこか遠い国の話ではないことを私たちに教えてくれている。このことから我々がこの言葉について身近に感じ真剣に学ぶ時が今来たといえるのではないだろうか。  このような世界の流れ、情勢を背景に当セクションは、今季のキーワードであるグローバルガヴァナンスという国家の枠組みを超えた考え方を学び、その上でこれにややもすれば共存することが難しい軍事的側面に着目した「安全保障」にフォーカスを当てる。どのような立場であっても考えなければならない昔から我々人類が苦心してきたことに焦点をあて国際政治について考える。

経済セクション

 貿易と環境、貿易と社会的権利、貿易と公衆衛生など標準をめぐる紛争の出現により、経済におけるグローバルガヴァナンスは、歴史的に求められてきた。時代に求められ創設されたGATTは、やがて時代の進展にともない参加する主権国家の多様化によるコンセンサス方式の機能不全により、WTOに取って代わられた。その後、ネガティブコンセンサス方式により従来の交渉方式を改善したWTOも2001年のドーハラウンドを最後に交渉の妥結はなされていない。これは、国家の次元では効果的に作用していない規制措置を、国際的な次元に移す展望を論理的に指摘しているのではないだろうか。はたして、国民国家体制は弱体化しているのだろうか。一方、先進諸国は時代の趨勢とは対照的に自らの国益を主張し、主要な国際制度に反対する動きを見せている。そのように多様化するアクターによる対立は今後どのように進展していくのだろうか。

人間開発セクション

 人口問題やそれに伴う貧困、食糧問題など、途上国で抱える問題は実に様々であり、それに対する国際社会からのアプローチも多岐にわたっている。主権国家間のODAやUNDP(国連開発計画)を中心にした連携だけではなく、市民団体や国際NGOがそれぞれの問題意識を持ち、国際社会に対して働きかけようとしているこれらの状況も、人間開発をめぐるグローバル・ガヴァナンスの動きのうちの一つとして数えられよう。
 しかし、世界的課題に対して施されるグローバル・ガヴァナンスが確かに機能し、国際社会に貢献しているのかと訊かれれば、その答えは一概には言い切れない。当事者ではないわれわれが行う開発援助が偽善に陥り、問題を引き起こすとき、そこにはアクター間で考え方の対立がある。大規模な旱魃を受け、先進国が中心となって作って”あげた”給食センターが、どうして多数の現地の死者を生んだのか?多くの資源を持つ国に住む人々が、どうしてその資源を享受できないのか?

 われわれの生きる国際社会の姿を描写するために求められるのは、明確かつ新しい問題意識である。人間開発セクションでは、問題解決のむずかしさと、開発の光と影を議論してもらいたい。

環境セクション

 PM2.5――中国で大気汚染の元となっている微小粒子状物質である。 冬の暖房使用によって大気汚染の更なる深刻化が懸念される中国では、PM2.5の観測値も最悪のレベルが続く。有害物質含む濃霧の発生によって視界は悪化、市民は外出を控え、高速道路では事故による死傷者をだした。 ――では、日本に住む我々は中国の大気汚染と無関係だと言い切れるだろうか。 答えはノーであり、この問いこそが、環境問題を解決する難しさといえよう。地球上の大気は繋がっているため、中国で観測されたPM2.5は北西風と共に日本に越境大気汚染をもたらす可能性があるのだ。 隣国の産業廃棄ガスが原因で発生した酸性雨が自国に降り注ぐこともあれば、自国を流れる河川の汚染は、上流を保有する国の工業廃水が原因かもしれない。このように環境問題は加害国と被害国が同一とは限らないため、国内政治を超えた対応が求められる。

 地球温暖化もその原因が工業化に伴う二酸化炭素の排出増加であるという認識が正しいとすれば、「共有地の悲劇」が起こるのは必然である。すなわち、国、企業、個人が各々の利益を最大化しようと産業活動を行えば、地球環境という公共財の維持は難しいのだ。ならば、中央政府が存在しない国際社会において、環境問題に対処するためにいかなる努力がなされてきたのであろうか。 42期環境セクションでは、≪グローバル・ガヴァナンス≫という視点から、世界各地の環境問題について学んでいく。環境問題は、その越境性がゆえに一国のみでの解決が困難な≪地球的課題≫である。生物多様性条約や気候変動枠組条約など、国際社会は地球的課題への対策をすでに始めているものの、環境保全は経済成長を阻害する可能性があるために、先進国と途上国の対立を生み、かつ先進国内の足並みも揃わない。2013年11月にワルシャワで開催されたCOP19の厳しい結果がそれを如実に表している。アクターも、国家から地域に住む住民まで実に多様である。 我々は学者でも、官僚でも、政治家でもない。参加者には、学生ならでは視点から環境問題を論ずることを期待する。大切なのは問題の大小ではなく、「いかに自らの問題として取り組むことができるか」である。

情報セクション

 情報とは何だろうか。4つのヌクレオチド――アデニン・シトシン・グアニン・チミン、 時代は情報革命の渦中であり、その流れは多様な主体を結合へと導くと共に、地球的課題を喚び起こす引き金となっている。Microsoft、Google、Facebook、Twitter、これらの「便利さ」はネットワーク効果が生み出した正のフィードバックと捉えることができよう。しかし、インターネットが生み出した過剰結合は、政府の管理能力やシステムのチェック・アンド・バランス機能では追いつかないほど、問題の傷口を広げてしまうことがある。デンマークで発生したムハンマドの風刺画事件が世界各地でのムスリムの反発に発展したことは過剰結合の最たる例である。現代の国際社会において、局地的な事件がメディアやインターネット上で波紋を呼び、世界的な問題の遠因となってしまう状況は非常に多く散見される。

 一方、我が国において特定秘密保護法案がセンセーショナルな話題となっているように、当たり前に情報を享受し得る社会にとって、情報の流通を規制することは水火の災いにも匹敵する問題である。
DNAを構成する要素と同様に、国際社会にも多様な構成要素が存在する。情報が引き起こす正負のフィードバックに対して《グローバル・ガヴァナンス》はいかに対応することが可能なのだろうか。