グランドテーマ

アジア太平洋地域における安定 〜協調と対立の中で〜

冷戦期の国際社会はいわば分裂した世界であった。冷戦の終結はこうした分裂状態を終わらせ、世界をひとつに統一し、真の意味でのグローバルな社会をもたらしたのである。そこで、ソ連が超大国としての権威を失うなかで、アメリカが唯一の超大国である一極体制が現出したことも重要である。しかし、21世紀に入り、そのアメリカに迫る勢いで急成長をとげたのが中国だ。GDPでは日本を抜き世界第2位となり、国際社会の中でも中国の存在感というのは無視できないものとなった。  今年度の十大学合同セミナーではテーマとして《アジア太平洋地域》に焦点を当てる。国際社会の中で中国の台頭というのはもちろんであるが、インドや韓国、東南アジア諸国の成長も目覚しい。2013年にはアジア地域の総GDPはアメリカを抜き、EUに次ぎ世界第2位となり、このままの成長を続ければ2015年末には世界最大の経済圏となる。ただ、アジア太平洋地域というのは「アジア」だけではない。アメリカをはじめとする北米と東アジアとを包含する地域である。つまり、冷戦後覇権を握ってきたアメリカに加え、台頭するアジアが含まれる国際社会の中で最も注目される地域である。中国を中心とした新興国の台頭、大国アメリカ、そして我が国日本。各国のパワーバランスの変化やイデオロギーの相違などの中で、地域の安定を目指すには何が必要であるのか。  そこで43期では次の5つのセクションを用意した。《①国家安全保障 ②貿易・投資 ③資源・環境 ④人権 ⑤文化》である。これらの観点から見ると、アジア太平洋地域において、何が問題になっているのか、どうしてそれが問題になっているのか、またはそれが世界とどうつながっているのか。認識できるすべての可能性を考察し、議論してほしい。当然、各々の研究だけでは一面的にしか捉えることができない。普段のセクション会だけでなく、インターセクションを通じての他の研究への理解というのも大切である。そこで多角的な研究は完成する。  十大学合同セミナーでは単なる勉強では終わらない。10以上の学校、違う専攻の学生が集まり、学生主体で議論を重ね、論文を執筆する。つまり、多様な価値観を持つ学生が自らの意思で1つの共通の目標に向けて進んでいくのだ。これまでの学生生活に不満や物足りなさがある人、さらに学生生活を有意義なものにしたい人、学問的素養を高めたい人、、、他にも様々な参加理由はあるだろう。その様々な思いをこの十大学合同セミナーでの議論、論文執筆にぶつけてほしい。そしてこれからの3ヶ月間は生涯忘れることのできない、何物にも代え難い時間になるはずだ。  「アジア太平洋地域における安定」を考え、議論し、十大学合同セミナーに新たな歴史を創るという強い意志のある学生が多く参加してくれることを心から願う。

セクション紹介(セクション概要)

国家安全保障セクション

冷戦の終結で核戦争の危険は終わり、平和と自由の社会がやってくると世界が期待した。しかし蓋をあけるとイデオロギー対立に封じ込まれてきた民族問題が噴出し、世界から争いが無くなることはなかった。 国際政治学者のウォルファーズが言う「獲得した価値に対する脅威の存在」、また防衛大学校教授の神谷万丈が言う「ある主体が、その主体にとってかけがえのない何らかの価値を、何らかの脅威から何らかの手段によって、守る」ということ。これまでに様々な学者たちが安全保障について述べてきたが、我々にとっての安全保障とは何なのだろうか。冷戦後、国際的安全保障は、三つの波を伴って変化してきた。冷戦後すぐの1990 年代には、大国間の対立は背景に退き、第3世界の内戦が安全保障の支配的な問題となった。9.11以後の国際テロの顕在化、そしてその余波ともいえる、アフガニスタン、イラクにおける 戦争は、2000 年代の安全保障の中心的な問題であった。このような90年代の内戦、00年代の国際テロという2つの波を経て、00年代の末には、冷戦後の安全保障の第3の波が起きてきている。それは、新興国の台頭、とりわけ中国の台頭によって引き起こされたものであり、第1の波、第2の波とは異なり、そこでは国家間の安全保障、それも冷戦後背後に退いていた大国間の安全保障の問題が顕在化したのである。 こうした現代において国家はどう国民の自由、財産、安全を担保するのか、当セクションでは安全保障の基本的な概念である『国家安全保障』にフォーカスし、アジア太平洋地域における安定を考察する。

貿易・投資セクション

1970年代まで、世界経済の中心はEUやアメリカであった。しかし、先進国の経済成長の停滞により、先進諸国は新たな市場を求めてアジア太平洋地域に目を向け始めた。  具体的に貿易面では、二国間だけでなく多国間におけるFTAやTPPなど地域レベルの経済統合の新たな枠組みが出来つつある。  投資面では、企業の海外進出やインフラ投資などの直接投資の増加が進み、また金融取引における自由化の促進によって、先進国のみならず、アジア太平洋地域諸国の経済成長にも影響を与えた。  このようにアジア太平洋地域は、広域FTAやTPPを通じて貿易、投資ともに相互依存を一層深めており、世界経済の成長の原動力として世界経済を牽引していくと見られている。世界経済の重心は間違いなくアジア太平洋地域に移っている。  だがしかし経済的相互依存が進む一方で、アジア通貨危機やリーマンショックのように、一国から生じた問題が他の多くの国にも悪影響を及ぼしたり、ASEANのような地域経済協力体のなかでの国家間の経済格差も見受けられる。  このように多国間や地域間で経済協力や相互依存を促進する枠組みが形成されているが、その裏で格差などの様々な問題が生じるという矛盾が起きている。では、なぜそのような矛盾が起こるのか。その原因やプロセスを考察し、貿易・投資における安定を導きだすのが当セクションである。

資源・環境セクション

現代の国際関係を語るうえで、地球環境問題は避けては通れない。グローバル化が進むにつれて、世界は経済成長とともに利便性を享受してきた。その一方、地球環境問題は国際社会に大きな問題を引き起こしていく。  地球環境問題は、大きく”環境”と”資源・エネルギー”に分類することができる。  環境問題は大量生産・大量消費・大量廃棄型社会が普及するなかで、資源の過剰な利用や人間の社会経済活動から排出される多様な廃棄物などによって引き起こされる。主な例として、生物多様性の減少や地球温暖化などが挙げられる。こうした環境問題は一国内で完結せず、国境を越えるため、解決には国際協力が求められる。  資源・エネルギー問題はかねてから国際社会における問題の火種であった。資源は地理的要件に左右されるため、持てる国と持たざる国が存在する。国際社会は、資源をめぐった戦争や紛争を経験している。経済成長のためにも、国民の生活を向上させ維持するためにも、資源は必要不可欠である。いまや他国から資源を輸入せず、完全に自給できている国は存在しない。資源への過剰な依存をさけるために再生可能エネルギーへの投資も増えているが、いまだ取って代わるに至っていない。  ケネス・ボールディングなどが提唱した「宇宙船地球号」という概念が地球環境問題をよく表している。「宇宙船地球号」とは、地球は人間が生活できる唯一の場であり、人類は地球と運命共同体であることを表した言葉である。地球環境問題を「宇宙船地球号」に例えることによって、私たちひとりひとりが乗組員であること(=当事者意識)、生活空間は限られること(=環境の有限性)、船内が汚れることは乗員の生命をも失いかねないということ(=環境汚染)、船内で人間が活動すること(=エネルギー)、活動に必要なものは限られていること(=資源の有限性)など地球環境問題の特徴を想起させる。  私たち自身も、地球という名の宇宙船の乗組員であると考えて、国際関係論においてますます注目の高まっている地球環境問題を考えてみてはどうだろうか?

人権セクション

「人権」が国際的に重要視されることになったのは、第二次世界大戦後のことである。それ以前は、人権問題は国内問題であり、他国が干渉する必要はないと考えられていた。第二次世界大戦において、ドイツ、イタリアなどの全体主義国家による大規模な人権侵害や他国への侵略が行われ、人権を抑圧する体制の出現は国際平和を不安定にするとの認識が広まった。これを機に、国際連合憲章で人権の擁護が条文で定められ、国際人権保障制度への取り組みが始まったのである。

文化セクション

ここでは国際関係における「文化」の重要性について述べたいと思う。 ほかの4セクション(国家安全保障、貿易・投資、資源・環境、人権)は、互いに絡み合うところはあっても、おおむね問題領域が区別されており、異なるイシューを扱うだろう。それに対し文化セクションは少し性質が異なり、ほかの4セクションの問題領域にも関わってくる。文化とは「民族や社会などの風習・伝統・生活様式・思考方法・価値観などの総称」のことで、人が構成するどの社会にも存在し無意識のうちに人の行動に影響を与えているからである。国際関係を無機質なシステムではなく、人間同士の有機的な関係として捉えようとすれば、決して文化的側面を無視することはできない。 文化がほかのセクションの問題領域とも関わってくるということは、文化セクションにしか扱うことのできないイシューを見つけることは難しいかもしれない。しかし、それで文化セクションの存在する意味がなくなるというわけではない。十大における文化セクションの意義は、国際関係を「人間が作り上げる関係」として捉え国際関係における文化の立場・役割を考えることによって、同じイシューをほかのセクションとは異なる視点から論じることにある。